先日、映画のアメリカンスナイパーを観てきました。
非常に考えさせられるという意味ではよかったのですが、どうしても米兵側の一方的な正義の解釈を押し付けられているような気がして、しっくりとこなかったのが本音です。
クリントイーストウッド監督は、私は非常に好きな監督です。特にグラントリノはジャズ歌手のジェイミーカラムが大好きということも重なり、私史上まれにみる傑作と位置づけています。
そんな期待値の高さも影響し、アメリカンスナイパーにはちょっと描き方に物足りなさを感じてしまいました。(私の映画を観るレベルの低さもあるとおもいます)
そんな思いをかかえた帰りの電車のなかで、なぜイスラムの方々は、社会に溶け込む平和主義の方々(圧倒的多数)と、テロを肯定する方々に分かれてしまうのだろうか、と悶々と考えており、その足で北千住の足立区立図書館に向かい、イスラム文化の本を2冊借りました。
読む前は、キリスト教とイスラムの宗教的な考え方の相違、またビジネスにおける格差や、国家の領土問題などが複合的に絡み合っての対立なのかな、など漠然と考えていました。
やっぱり甘かったです。
より深い、非常に根深い歴史の上の問題だと理解できました。
信仰の対象や考え方の不一致ではなく、
領土と歴史認識と責任の取り方に集約されるのだなと感じました。
イスラム教は誕生時から、ユダヤ教もキリスト教も認めており、同じ神を信仰していること。
11世紀より、十字軍遠征による侵略行為による、聖地をめぐる争いと多くの人命の亡失。
第一次世界大戦中のイギリスによる、アラブ人、ロシア、ユダヤ人に対する三枚舌外交。
ユダヤ人の国家建設を目的としたパレスチナでの独立戦争。
オスロ合意など、問題を先送りにした約束の数々。
故郷と誇りを守る為、数々の悲しい出来事を繰り返さないために、防衛戦争を繰り返した結果、相手を攻撃することを目的とした考え方が産まれてしまうことが、歴史のなかから理解できました。
平和を実現するには、相手を知り、自らも知り、お互いを活かす行動をとれるようにし続けることが大事だと考えていますが、この本と映画を通して、もう一歩踏み込んだ教育を世界に浸透させることが大切なように感じました。
それは、ある一方からの情報だけを信じて、思考を終えてしまい、良い悪いを判断してしまうことは、自らを誤った方向に向かわせるだけでは済まず、周りの人間も誤った方向に導いてしまう恐れがあることを周知徹底する必要がある、
ということです。
視野をひろく、多角的な視点で、平和を実現する一役を担えたらとおもいます。